国のタイムゾーンをどう設定するか、という問題はときに政治的な問題になる。たとえば中国では、あれだけ国土が広いにもかかわらず全国一律で北京時間が採用されているが、これは1949年に毛沢東が決めたことで、その目的は国民に団結心を植え付けることだった(そのせいで、中国西端の新疆ウイグル自治区では、季節によっては時計の針が10時を指してやっと日が昇ってくるようなことになっていて、哀れなことではある)。あるいは、北朝鮮では2018年までの3年ほどの間、自国の独立性を示すべくお隣の韓国と30分だけずらした独自のタイムゾーンを採用していた。とはいえ、国が自国のタイムゾーンをいじるのは、もっと実務的な理由によることのほうが多い。たとえば、70近くの国(多くはアメリカ大陸とヨーロッパ)では、いわゆるサマータイムが採用されている。アメリカ(サマータイムを採用していないアリゾナ州とハワイ州は除く)では、この週末(訳者注:11月の第1日曜)にサマータイムが終わるので、また時計の針を1時間もどすことになっている。しかし、これって本当に必要なのだろうか?
夏の間は時刻を早めよう、という考えはすでにベンジャミン・フランクリンが18世紀に思いついていたが、実際に採用されるようになったのは第一次世界大戦中のことだ。イギリスやフランス、ドイツの政府が考えたのは、時刻を1時間早めれば時間的には夜でもまだ明るい時間帯が生じるので、そのぶん各家庭で燃料(当時は石炭)を節約でき、戦争に回せるリソースが増える、ということだった。その後さらに、遅い時間まで買い物ができるので消費が刺激されるだろうとか、犯罪も減るかもしれない(「明るい時間が長ければ、俺だって悪いことなんかしないよ」なんてどこかのろくでなしが言いそうだ)とか、いろいろなご利益が示唆されるようになった。
これだけいいことが言われてきたにもかかわらず、時刻をいじることの評判はあまりよくない。実際、欧州議会は2019年に、2021年をもってこの長い伝統をもつ慣習を終わらせることを決議した(その後発生したコロナ・パンデミックによって無期限に押し戻されてはいるが)。EUが市民にたいして世論調査を行ったときは500万件ちかい回答が寄せられ、うち80%以上がサマータイムの廃止を支持していた。そしてこの世論は、決して根拠のない感情論ではないのだ。まだ完全に決着がついてはいないものの、多くの科学者は、時刻を早めたり戻したりすることによってヒトの概日リズムが撹乱されてしまうと考えている。ある科学者の言葉を借りれば、「時差ボケを少量投与ようなもの」なのである。これのせいで心臓発作のリスクが高まる可能性があるし、明るいところで自動車を運転することに慣れていたのが急に暗いところで運転するようになった(あるいはその逆)ために交通事故が増える、ということも考えられる。軽い時差ボケになるのだから、勤労者の生産性も下がるかもしれない。事業者にとってもっとも不便なのは、時刻を調整するタイミングが国によってバラバラなことだろう。ヨーロッパではほとんどの場合、サマータイムが終わるのは10月31日だが、アメリカでは11月の第1日曜だ。ということは、アメリカの企業と取引のある企業は、11月の第一週だけいつもより1時間前倒ししたスケジュールで働き、翌週月曜になったらまた戻す、というようなことをする羽目になるわけだ。
ことほどさように不人気なサマータイムは、これからも存続するのだろうか。EUでもすぐに廃止されるきざしはない。アメリカでは、上院議員の超党派グループが「日照保護法(Sunshine Protection Act of 2021)」なる法案を提出し、一年を通してサマータイムを採用することを訴えているが、勢力としては弱い。これと同じ趣旨の法案は19の州議会(カリフォルニア州、フロリダ州、ワシントン州など)で可決されているが、国会によって承認されてはいないので、これらの州の住民もやはり、この週末には時計の針を戻さなければならない。サマータイムは今なお健在、なのだ。